作品紹介
【監督】ヴィム・ヴェンダース
【出演】役所広司/柄本時生/中野有紗/アオイヤマダ/麻生祐未/石川さゆり/田中泯/三浦友和/
【個人的評価】★★★★☆
【あらすじ】主人公 平山は、東京・渋谷に住むトイレ清掃員。淡々と同じような日々を過ごしているように見えたが、彼に取っては毎日が新しい発見の日であった。ある日、思いがけない出来事が起こる。
平山だけでなく、周りも変化していくということをもとに、変わりゆく流れを描いているところかもしれません
ヴィム・ヴェンダース監督は、大学で、医学と哲学を学びながらも、画家を志すも入試に失敗し、その後彫刻を学びながら、映画批評を執筆した後、1967年に映画監督として活動を開始します。1970年『都市の夏』で初の長編作品を監督し、その後、1972年『ゴールキーパーの不安』で、第32回ヴェネツィア国際映画祭にて国際映画批評家連盟賞を受賞しています。「ロードムービー三部作」や、『パリ、テキサス』、『東京画』、『ベルリン・天使の詩』など、多くの作品で評価される映画監督です。
役所広司は、もともとは役所勤務の職員でしたが、仲代達矢の無名塾に入り、前職の役所勤めというところから芸名を命名してもらっています。
柄本時生は、父に柄本明、兄に柄本佑を持ち、2003年Jam Films S『すべり台』で俳優デビューをしています。その後、2008年『俺たちに明日はないッス』で映画初主演をしています。兄とともに演劇ユニット『ET×2』を結成もしています。2010年「Q10」では、父親の柄本明と共演もしており、個性的な役柄を演じることが多い俳優です。
本作は、第76回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品されており、『誰も知らない』の柳楽優弥以来、19年ぶりとなる男優賞を受賞しています。
副題に「映画にならなかった、平山の353日」となっています。
石川さゆりが俳優として出演していますが、かなりレアな感じがしますが、石川さゆり自体は、1973年「としごろ」で映画出演をしており、本作は4作目の映画出演となっています。
本作は、渋谷区内17か所の公共トイレを刷新するプロジェクト「THE TOKYO TOILET」の一環としてPRを目的としたところから、短編オムニバスとしてのアプローチから映画化をしています。
物語は、トイレ清掃員として働き、質素な生活としている主人公が、その日々を通じて、新しいことを発見しながら、ある日、思いがけない再会を主人公が変わっていくストーリーです。
序盤から、殺風景な部屋で目覚める男が描かれ、朝日が登る前に身支度をして出かけて行きます。平野にはカーテンもなく質素な感じですが、身支度をする準備や植物に水を与えているところなど、毎日決まったような動きで生活をしているようにも思えます。
家を出てから、自宅の前の自動販売機で缶コーヒーを買い、車内で選んだカセットテープで決まった流れの毎日を男は過ごしています。
公衆トイレを清掃することが男の仕事でもあり、淡々と仕事をこなしていきます。清掃中に人がトイレに来れば、無言で場所を離れ、用が済むのを待ってから、トイレに入り、再び清掃をしていきます。
男の名前は平山といい、同僚の若い男が途中で清掃の合流をします。主人公の「平山」という名前は、『東京物語』や『秋刀魚の味』などの小津安二郎監督の作品に繰り返し使われる名前でもあり、ヴィム・ヴェンダース監督のオマージュによるものだと思います。
どうせ汚れてしまうトイレでもありながら、平山は非常に綺麗にトイレ清掃をし、場所を移動して公衆トイレを転々としていきます。
訪れる公衆トイレがどれもおしゃれなデザインのトイレなのは見た目の問題でもあり、演出なのでしょう。中に人が入ると外から見えなくなるトイレも登場しますが、やはりこのトイレは操作を間違えると大変なので、使うのには多少勇気が必要です。
トイレに迷子の子どもがおり、平山が子どもとともに親を探そうとすると、母親が見つけ子どもとともにさっていきますが、母親は、平山のことを気に留めないことが重要な点です。
平山自体の生活を描いた作品ですが、日々同じような生活をしていながらも、同じような日は一日もないというようなところが徐々にわかってきます。
平山は寡黙に仕事をしていますが、とはいえ普通ににこやかでもあり、小さな植物にも気に留める男性で、細かいことを語らなくとも、すべてがわかってくる演出にはスゴイとしか言いようがないです。
本作のタイトルでもある「PERFECT DAYS」はそんな日々の中でも最高の日々を描いた作品であり、何気なない日々のありがたみを徐々に、じわっと感じてくるところがすごい視点です。
銭湯が開く時間に風呂に入り、浅草の地下街で一杯飲みながら野球観戦をし、自転車で帰路につく。そんな一日の終わりには布団で本を読み、眠りにつく。これが平山の一日でもあります。
ほぼドキュメンタリーのような毎日のルーチンを繰り返す平山の生活を描いた作品ですが、ドアを開けたときの空を見上げる感じと缶コーヒー買う姿は同じようでも毎日違うような感じを得ます。
「10段階で言うと10でしょ」
平山の同僚がとあることで車が必要になり、渋々同僚に車を貸して平山と同僚とその彼女で自動車で移動をしている中で、平山のことを聞きますが、平山はともかく無口でもあり、とはいえ、人と関わり合うことで生活が成り立っているところもあります。
平山の事情がともかく描かれないので、なぜこのような生活をしているのかがわかりにくいのですが、本作はそういう人物の描き方ではなく、日常の過ぎゆくことを描いている作品とも思えます。
平山は、洗濯機も風呂もない部屋に住み、自炊もせずに質素な食事だけをし、休日は写真と音楽を楽しむ生活をしています。
平山が古本屋に入るときに、カメラがちょっとした特殊な効果をしています。これは、普段言葉を話さない平山が楽しめる瞬間というところでの演出でもあります。
石川さゆりが小料理屋で歌ってくれるのは非常に贅沢ですが、当たり前ながら、こういう店は実在はしません。
「Spotifyにあるかな?」
「どこにあるのそのお店」
平山と姪っ子の会話はやはりジェネレーションギャップがあり、平山の生活にはないこともありますが、とはいえ、その生活に不自由を感じているわけでもなさそうです。
平山にも親類がおり、姪っ子の家出を追いかけてきた母親ケイコにも会います。ケイコは平山の兄なのだろうと思われますが、細かいことが語られないので良くはわかりません。
平山の自宅は江東区亀戸にあります。ここから自転車で浅草まで飲みに行っているようです。
毎晩見る夢も平山の楽しみであるように思え、同じような日々を過ごしているようですが、些細な楽しみを抱いて平山は生活しているようです。
この長く続いている生活の中に、ちょっとした変化や気持ちの安らぎを得ることが、本作で伝えたいメッセージなのかもしれません。
「影って重ねると濃くなっちゃうんですかね。」
「何も変わらないなんて、そんな馬鹿な話ないですよ。」
本作は、作品自体というよりも、日本での生活を描いていることで、ヴィム・ヴェンダースの感性をくすぐっているのかとも思えるのですが、日本人から見ても、日本の今の状況や日本の侘び寂びを匂わせるようなそんなところが本作の第一印象にもなります。
とはいえ、本質的なところで言えば、本作はただの生活を描いているわけではなく、日々の生活でもちょっとした変化があるわけで、平山だけでなく、周りも変化していくということをもとに、変わりゆく流れを描いているところかもしれません。
本作を理解するには、ある程度経験や人生を歩んできた人たちには刺さるところがあるように思え、同じような日々があったとしても、自分自身以外は変化していることもあり、取り残されている悲しさを感じてしまうところもある気がします。